賭けごとの歴史は人類の歴史とともにある。現代に至る各種の賭博ゲームは昔からあったゲーム種が近世になって発展してできたものである。トランプ・カードも昔から類似的なものは存在したが、今あるトランプへの形式が整ったのは1387年フランス人によるという。1440年にはグーテンベルグが現在に至る様式を整えたトランプ一式を印刷した。ルーレットもクラップスも16世紀から17世紀にかけてその原型が形成された模様である。中世から近世に至る過程で、ゲームの基本的用具やゲームの遊び方等が段階的に発展、共通化、一般化し、18世紀には既に一定のゲームのルールや遊び方が欧州各地域において社会的慣行として定着したと推定されている。
この様な過程を経て、カジノの原型とも思われる商業的賭博遊興施設が生まれたのは17・18世紀ごろとなり、極めて限られた場所で限定的に施行されたのがその始まりになる。さていつごろから、どこに正確にカジノなるものが生まれたのは必ずしも明らかではないのだが、記録に残る最初のカジノ施設とはイタリアのベニスであったらしく、1638年頃には既にできていたといわれている(カジノという言葉の語源もイタリア語のカッシーノ(小さな家)であり、この頃から用語として一般化していったと想定されている)。カジノが実現し、その中で営まれるゲームが一般に普及するためには、用具の統一化、ルールの共通化と簡素化等が必須の要素になる。この頃までには、ゲームのルールの共通化や賭博の賭け方、使用器具などの統一化が進み、ゲーミング・カジノという考えが欧州全般に定着していったのであろう。遊びが社会の中で一般化するとともに、これを商業的な試みとして実践する主体も生まれてきたといえる。19世期には確実に一定のパターン化された施設がカジノとして定着し、かつ、諸国民の間でも、この概念と遊びの在り方が定着していった。もっとも、欧州では組織的な遊興施設として定着したこのカジノの主要顧客は、貴族や富裕層、あるいは当時の著名人等であった模様で、所詮カジノとは、時間と金をもてあますこれら特権階級の余興の手段、手法として発展してきたことは間違いない。一方新大陸米国では、独立から西部開拓の過程で、ゲーミング・カジノ自体が開拓者と共に自然発生的に発展し、庶民化し、18世紀末には、社会の下部層から発展し、庶民の間でゲームを軸とした賭博行為がかなり普及していったという事実がある。この点、地域により発展のあり方は異なる。
19世期の特徴は、為政者から許諾を得て、対価として一定の税金・納付金等を納めることで特権的な許諾を得て、カジノを主催する民間主体が生まれたことにある。あるいは許諾し、認める変わりに、為政者が税を徴収するという考えも成立した。ほぼ、現在のカジノに連なる考えと慣行がビジネス・モデルとして、このころ定着したものと思ってよい。大陸欧州では、この頃のカジノとは著名な温泉地や避寒地・避暑地に設置され、ここに当時としてはまだまれであった豪華なホテルや庭園、競馬や温泉施設などのアメニテイーを集中的に設置し、一種の著名人の集まる高級リゾートとして発展してきた施設群を意味した。バーデン・バーデンでカジノが開設されたのは1823年になるが、これが欧州にて人気を博したのは1830年中葉以降、フランスで賭博行為が禁止されたという事情があったからである。その後、19世期を通じ、バーデン・バーデンは著名人が集う、温泉、カジノ、豪華なホテル、競馬、庭園(欧州の夏の首都とも言われた)が集約したリゾートとして発展していくことになる。カジノを核としながらも多様なアメニテイーと魅力が存在し、これが集客力をもたらしたわけで、現代社会における大衆化した複合観光施設としてのカジノと一脈通じるところもある。カジノで有名なモナコで賭博行為が認められたのは1854年で、公国の財源ねん出がその本来の目的でもあり、1856年に最初のカジノ施設がオープンした。現存するモンテカルロの華麗な施設は1858年に建設され、その後幾多の経緯を経て現在でも使用されている。
この様に、欧州では、カジノはあくまでも特権階級にとっての高級リゾート、かかるリゾート地域における必須の余興の手段として発展してきた。この伝統は現在に至るまで根強く存在する。かかる事情により、規模的には大きな施設とはならず、クラブ的な雰囲気をいまだ残している施設が多い。一方、新大陸米国では、逆にゲーミング賭博は一般化し、庶民の遊興として、大規模化し、欧州以上に発展していくことになる。