国会に上程される法案には、政府が上程する内閣法(閣法)と国会議員が提出する議員立法という二つの種類がある。立法府、行政府いずれもが法案提出権を持つことは諸外国でも同様だが、我が国では、成立する法律の約8割は閣法であり、議員立法は全体の2割程度でしかすぎない。単純に提案主体が異なるだけというわけではなく、議員立法には下記背景や特色がある。
① 新たな法案作成に際しては、既存の法体系との整合性や一貫性を考慮せざるを得ず、衆議院法制局という専門的官僚組織の支援を受けているとはいえ、国会議員が立法案を策定することは結構大変な作業になる。誰もが簡単かつ単純に法案を作成し、上程できるわけではない。国会議員とても同様であり、自らがイニシアティブをとることにはかなりの知識と労力を要する。
② 一般的に議員立法とは、政府としては取り上げにくい政策や、新しい政策を対象にすることが多い。行政府(官僚組織)は一定の規範の下で行動しており、既存の政策や制度的枠組みから大きくはみ出す新たな政策を主張できにくいという事情があるからだ。一方、立法府にはかかる制約は無い。かかる理由により、議員立法は、新たな政策や施策を生み出すことに貢献できるという側面が強い。ここにこそ議員立法の価値がある。
③ 上記に伴い、議員立法は、理念的、概念的となる場合が多い。勿論、基本法や、実施法、手続き法等の側面を持つ法律もあり、一概には定義できないのだが、国の大きな方向性を変える基本法、理念法が過半となり、これを受けて政府がその詳細を行政的に規定したり、その施行を担ったりするという形式をとることが多い。
政府とは内閣総理大臣をトップとする閣僚により代表され、実質的には国会議員が政府の中に入り、様々な役割を担い政府を動かすことになるのだから、政権与党の支持を得て国会に提出される議員立法は、成立した場合、当然政府により、問題無く施行されることが本来あるべき姿になる。但し、議員立法の内容が理念的、概念的である場合、どうしてもその施行の過程で、どこまで、何を、どう処理すべきかなどに関しては、様々な実務的課題や選択肢が生じることが多い。政府が詳細を検討し、これを施行する過程で、結果的にその実践の在り方が、当初の立法府の意図からかい離した法の施行となってしまう可能性はゼロではない。議員立法の立案の意図と意思はあくまでも立法府にあり、この意図が法の施行に際し、貫徹することが本来のあるべき姿なのだが、現実の世界にはそうにもならない場合もあるということになる。議員立法における法の有権解釈は当然国会議員に帰属すべきもので、政府ではない。この意味では、政府が、法の内容を一方的に解釈し、当初の立法府の意図と反する形で法の施行を行うことは適切な慣行とは言い難い。
問題の本質は、一国のガバナンスの問題でもあり、立法府と行政府の在り方、政治と行政の関係はどうあるべきか、政治家は何をどこまでどのように決め、行政府は立法府の意思を受け、詳細をどのように取り決め、如何に法を執行するのかという点に尽きる。過去10数年、個人的に政府の中に入り、経験した限られた分野でも類似的な課題が生じたことがある。「民間資金等の活用による公共施設等の整備に関する法律」は、1999年議員立法として成立したが、その成立には当時の建設省と通産省が背後で強くこれを支援してきたという経緯がある。立法府の当初の意思は、英国の範に倣い、行政府ではなく、8条委員会(審議会)に政府としての全体調整権限を委ねることにあった。確かに当初は、8条委員会は権威ある主体として制度的枠組みの構築に貢献はしたが、実質的には段階的に骨抜きされ、形骸化し、行政府がすべてを仕切る仕組みに変化していった。但し、議員立法である以上、政策の方向性や審議会の構成員の選定に関しては政権与党の議員(政務調査会の部会)が全権を保持し、政府は議員の判断なくしては何もできないという実態でもあった。この仕組みは民主党政権になり、政策判断を閣僚委員会に格上げし、立法府から切り離す仕組みを閣法として改正し、実質的に政府が全てを判断する仕組みに再構成されてしまった。政権交代に伴い、表面的な「政治主導」の名の下に、実質的に官僚組織主導の体制に再構築してしまったというのが実態であろう。10数年間にわたり、官僚組織、審議会と政権与党との間で、裏の世界での主導権と権限の取り合いが存在したことになる。表からはまったく見えないが、現実の世界は生易しいものではないことを身に染みて感じたことでもあった。
上記は、議員立法は、一端法として成立した場合、その施行過程において、立法府の意思をどう貫徹するかに関しては、単純ではないということを示唆している。立法府と行政府のベクトルが合い、関係者の意図と意思がうまくかみ合う場合や、具体の条項を詳細に書き込んだ実施法の場合には、大きな問題は生じえない。一方、もしボタンの掛け違いが生じてしまうと、理念法としての議員立法は制定されたが、現実的には何も起こらなかったり、実質的に施行がうまくいかなかったりした法律等も現実には存在するとともに、施行段階で換骨奪胎され、立法府の意思が無視されたという法律も存在する。立法の趣旨を担保するためには、何等かの監視の仕組みが本来必要なのであろう。本年12月5日に国会に上程された特定複合観光施設区域推進法案(IR推進法案)の審議は来年の通常国会となるが、この審議とその後のIR実施法の枠組み構築も、政治による一定レベルのグリップを効かせることにより、初めてそのスムースな実践を期待できる。勿論これは利権の囲い込みや、不当な影響力の行使ではなく、あるべき立法の趣旨をどう法の施行の枠組みの中で生かしていくかということに過ぎない。国家を支えるガバナンスとしての政治家と官僚との関係は、単純にどちらがリーダーシップを取ることが良いか悪いかという問題ではない。政治家と官僚組織の在り方は、時の政権の意向や時代の変遷、議員のキャリア・力量等によっても変化するし、絶妙な力の均衡として存在する。一つの法が生かされるか、生かされないかは、この力の均衡を維持しつつ、あるべき方向に誘導できるか次第で決まる。