賭博行為が歴史的に禁止・抑制と許諾との間を揺れ動いたのはオセアニアにおいても同様である。但し、オセアニア地域では、一般的に賭博行為に関してはリベラルな風潮が伝統的に存在し、規制も曖昧なままに自生的に賭博行為が存在していた。その後、段階的にこれら賭博行為が国民による認知を受けるようになり、政府の政策はこれらを制度的に認める方向に変化していった。1970年代から1980年代初頭にかけては、賭博行為を抑制することよりも、その経済的効果を積極的に享受するという政策がとられた。カジノが制度として認められると共に、多種多様なロッテリー賭博が認められ、かつクラブやホテル・パブ等にゲーム機械(スロット・マシーン)を設置すること等が可能となった。これら一連の施策は、国民による大きな賭博消費と高い経済効果を生み出している。一般的にこの時点におけるオセアニアにおける商業的賭博に関する大きな政策的志向は、①税収の最大化、②賭博行為がもたらす社会的に否定的な影響の最小化、③施行に係わる公平性・安全性・廉潔性の確保、④犯罪が起こりうる環境の抑止等にあり、基本的な方向性は各州とも類似的になる。
80年代中葉以降の商業的許諾は上記考えを基本としつつも、不況に伴う経済活性化が重要な施策となり、これがカジノ賭博を新たに認める主要な政策的目的となった。即ち、①観光振興、②雇用増③地域再開発④税収増等になる。この結果、これら政策目的のもとに、特定州都において、観光のランドマーク施設として、かつ地域再開発の一環として巨大な複合的観光カジノ施設を設ける事例が典型的なオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)におけるカジノ施設になった。これに伴い、1990年代以降は、オーストラリア、ニュージーランドにおいて国民の賭博消費が飛躍的に増大した。この成長要因は、伝統的なロッテリーや競馬等のパリ・ミュチュエル賭博、あるいは固定オッズ賭博ではなく、明らかにカジノとカジノ外に設置された電子式ゲーム機械(スロット・マシーン、豪州ではこれをポーキーと呼称している)である。カジノは施設数とテーブルや機械の設置台数を規制当局が規制する考えが採用されたが、一方、カジノ外のクラブやホテル・バー等に設置されたスロット・マシーン、ビデオ・マシーンに関してはかかる設置規制は無く、結果として、カジノ施設外でゲーム機械の設置が拡大してしまう事象をもたらしてしまった。一部州においてはこれが市民にとっての賭博行為へのアクセスを高め、この結果として1990年代後半以降、電子式ゲーム機械がもたらす依存症問題が地域社会における関心事になり、社会的・政治的にクローズアップされることになる。
オーストラリアにおける過半の州並びにニュージーランドにおいて、かかる動きは政府の施策を観光振興や雇用促進・税収増等専ら経済的効果を重視した考え方から、より社会的な政策に重点を移した考え方への転換を促した。このために、2000年以降主要なオーストラリアの州、ニュージーランドでは政策の転換や制度の見直しが段階的に実施されてきた。商業的賭博の経済効果を重視していた政策から、社会的な側面をより重点する政策へと転換することになるが、この考え方は①既存の商業賭博やその経済的利益を是認しつつも国民や住民が過剰な賭博行為の機会に触れることをできうる限り制限すること、②賭博行為全般が社会や地域、家庭、個人にもたらしうる否定的な要素をできうる限り縮減することをその考え方の骨子として強調する。後者の政策は、「社会的危害の縮小化施策」(Harm Minimization Measures)と呼称され、賭博依存症患者に対するキャンペーンや施行者による過度の広告の規制、行き過ぎた賭博行為に対する規制の強化、施設数の規制・管理等に典型的に現れている。かかる施策のために、これらオセアニア地域において今後新たなカジノ施行が認められたり、あるいは市場における電子式ゲーム機械(スロット・マシーン)の総数が増えたりすることは想定できにくい状況にある。
この意味では、オセアニア諸国では、カジノ施設の展開は、80年代~90年代を通じて、拡大基調にあったが、2000年代以降は明確に現状維持・安定均衡化の傾向にある。一方、カジノを含めた賭博消費全体は将来的には縮小均衡化すると想定されている。税収を確保することは現在においても主要な政策課題となるが、これに加え、社会的に否定的な要素を縮減することがより政治的に重要になり、依存症患者問題を公衆衛生上の課題として認知し、賭博産業自体の効率化や、あるいは制度・政策の効果的なあり方が政治的に取り上げられつつあるのが今日的状況になる。