シンガポールは人口440万人の多民族都市国家で、東南アジアのハブ的な存在として知られている。民度も高く、空港・港湾等のインフラも整備され、東南アジア最大の金融センターを保持し、アジアにおける先進国の一つでもある。勤勉、清潔、効率、安全、安心などがこの国の価値観で社会規制や規律が厳しい国でもあり、小さくてきれいだが、息もできず面白くない国というのが過去における同国の相場でもあった。賭博に関しても、比較的管理が単純となるパリ・ミュチュエル賭博(競馬、グレイハウンド競技、ロッテリー)等は英国の伝統もあり存在し、歴史的な経緯から認められていたが、許容できる賭博以外は好ましくないとしてカジノは禁止という政策を継続してとってきたという経緯がある。
2005年4月にシンガポール政府はこの方針を大きく転換し、カジノを含む複合型観光施設を統合型リゾート(Integrated Resort, IR)として、中心市街地区に隣接したマリナ・ベイ地区並びに従来からリゾート区域でもあったセントサ島の二箇所に設置することを決定した。2005年末から2006年にかけて世界的な事業者・投資家を招聘し、開発計画とその実現に係わる入札が行われ、二つの企業グループが落札者として選定された。この二つの事業で民間企業の総投資額は合計$100億米㌦以上に達し、いずれもが地域再開発に資する民間主導の巨大プロジェクトとなり、東南アジア最大の第三次産業への投資事業になった。カジノ施設を核に含むこれら統合リゾートの設置と実現により、この国のあり方や社会的な価値観も大きく変わりつつある。当初想定していた統合リゾートの主たる顧客は専ら、インバウンドの観光旅客やビジネス客でもあり、シンガポールを代表する象徴的な観光施設・コンベンション施設・娯楽施設を新たに設け、内外からの集客を実現しつつ、地域を再開発し、賑わいを創出するプロジェクトでもあった。地域再開発、観光振興、産業・経済振興を目的とし、カジノをその中に含むこのような巨大統合型リゾートの企画・実現は近年先進諸国にて採用されている手法でもあるが、その規模の大きさ、内容の豊かさ、実現の手法に関し、シンガポールは群を抜いて斬新なアプローチをとった。
シンガポールは観光立国を標ぼうしており、観光は国としての重要施策として従来から位置づけられてきた。観光の目玉となりうる集客力、税収効果が期待できるカジノを導入すべきという考えは独立後間もない頃から存在し、何度も計画され、常に反対に合い、実現しなかったという過去の経緯がある。これが実現へと動いたのは2003年政府貿易産業省が観光産業に係わる競争環境の変化(東南アジアにおける観光客訪問市場シェアの減少、観光産業における他国と比較した劣後性)を将来への警告と判断し、シンガポールの観光的魅力を増大する必要性を喚起したことから始まっている。シンガポールは当時から観光大国でもあった。2006年の外国人訪問客は970万人に達し、一定の順調な伸びを示していた。一方、観光収入のピークは1990年代の初期でその後は、段階的に減少しており、域内観光客やビジネス客は伸びているにも拘らず、滞在日数は減少し、観光客支出は停滞していることが現実となっていた。観光地、ショッピング・センターとしてのシンガポールの魅力は他国との競争により減退しつつあり、東南アジアの中で観光旅客の選択肢が増え、国家間での競争が激化している状況にあったのであろう。
今後増大しうるアジア域内の観光客を取り込み、シンガポールの魅力を増大し、同国を一種のコスモポリタン・ハブにするためには、何らかの象徴的な観光のメルクマールとなる施設やサービスが求められていたことになる。清潔、きれいな町並みだけでは不十分で、都市自体を活性化させ、刺激があり、住むにも遊ぶにも楽しい魅力に満ち溢れたグローバルな都市へとシンガポールを再生させる必要性が為政者にとっての重要な政策課題となった。放置した場合、シンガポールは新たな都市間競争についていけず、取り残されるという危機感から、同国の観光業を再生させる効果的なツールが必要となった。ここから生まれた考えが(カジノをその中の一つの核として含む)統合型リゾート(IR Integrated Resort)である。統合型リゾートとはカジノだけを作るものではなく、レジャー、ビジネス、エンターテイメント等の機能を包括的に含む施設をいい、一部施設にカジノをも含むが、これが投資の刺激剤として民間による投融資を活性化し、政府の補助金無しに、民主導の地域再開発を実現することをその狙いとする考えでもあった。
シンガポール政府の意向は二つの統合リゾートを民資金により実現し、これにより、2015年までに1,700万人の外国人顧客を招致し、300億シンガポール㌦の直接的効果、雇用1万人をこの計画のみで実現することにあると当初表明されていた。その後のこの二つの施設の実績は、2015年に至る前に、これら計画値を遥かに凌駕する成果を果たすことになった。二つの統合型リゾートの直接的・間接的雇用は5万人、納税額は両施設で2010年の4月~11月の間に4億2000万S㌦(約252億円)、同期間のカジノ入場税は1億3000万S㌦となった。2009年と比し2011年の観光客数は20%増え、1,160万人に、観光収入は2009年と比し2011年には49%増え188億S㌦(約1兆1280億円)に増え、これら成果に二つの統合型リゾートが果たした役割は大きいことをシンガポール政府は認めている。