アンテイグア・バルブーダはカリブ海東部にある人口僅か7万人の小国で、専ら米国人を対象とする観光や、軽課税国としてオフショア金融等に名目的に用いられている国である。勿論小国といっても国連に加盟し、かつWTOにも参加、多様な国際活動を担っている。2003年この小国が米国を相手にWTOに貿易係争を解決する為の係争小委員会(パネル)開催を要求した。実はこの国は、経済を活性化する為にインターネットを通じて賭博サービスを提供する免許制度を設けて、企業を誘致し、認可し、かかる企業が米国民に対しネットを通じた賭博サービスを提供するビジネスモデルを提供したことで有名になった。これらネット関連事業者が納める税収や経済効果は小国なりに経済全体への大きなインパクトをもたらしていた。サーバーを設置し、世界に情報発信することは何処なる国でも可能となる為、一種のニッチ市場として、低課税を武器にこのカリブ海の小国が巨大な市場たる米国を対象とし、かかる事業者を誘致・育成するビジネスモデルを構築したわけである。
一方、米国は米国市民に対し外国からかかるサービスを提供すること自体を違法とし、一部州政府は米国に駐在していた同国サービス関連事業者(実態は米国人で、米国からアンテイグア・バルブーダの運営をコントロールしていた)を逮捕したり、同国企業の在米銀行勘定の封鎖等実際の運営を阻止したりする等様々な直接的行動にでてしまった。同国は、かかる行為はサービス提供のアクセスの平等性を担保するWTO GATS(「貿易サービスに係わる一般協定」)に対する違反として、事案をWTOに提訴し、米国の保護主義的な措置を撤回し、同国の事業者が公正に米国において賭博関連サービスを提供できることを要求したものでもあった。背景も事情も異例中の異例、且つ又2004年3月WTOパネルはこの小国の主張を一部認める判定を下した為、一躍世界中で有名となった。その後米国は直ちに控訴し、ヒアリングを経て、2006年4月に控訴審で結審がでたのだが、曖昧な判決で米国、アンテイグア双方が勝利宣言をするに到り、単純な形では貿易係争は収拾しないという典型事例ともなった。
なぜかかる結果になったのか。この国の政府サイトでは、なぜこの国がかかるインターネット・カジノを制度的に許諾し、これを如何に適切に管理し、規制し、最も健全なサイバーカジノを提供しているかということを縷々説明している。一方米国の賭博法制の矛盾を指摘し、ギャンブルも正当な顧客に対するサービスの提供であり、小国が米国市民に対し、公正かつ健全なギャンブル・サービスをオフショアから提供することはWTO上何ら問題ないはずで、国内法における罰則規定をもって、国外から提供されるサービス行為を排除すべきではないという趣旨になっている。単純にインターネット・カジノを認めるか否かの議論ではなく、現代社会における問題の複雑さと国際間の関係の難しさを提起したことが興味深い点になる。
パネル裁定の内容は、法的には米国がGAT上で確約した内容の解釈論が過半になり、面白くない。留意すべき点は、パネルは一国が賭博を規制し、禁止することをその国が権利として保持する是非を判断したわけではなく、現在の米国による国境を跨るギャンブル・サービスを規制するあり方がGATSにおける条約上の米国のコミットメントと矛盾していることを指摘していることにある。即ちインターネット・カジノの是非を論じたわけではなく、GATSと米国のコミット、また現実の米国の制度のあり方を論じ、GATSにおいて米国が条文によりコミットメントをした内容からみると、対外からのサービス提供者に対し、差別を設ける米国の態度は適切ではないといっているにすぎない。勿論GATSは一国が公序良俗の観点からかかる権利を保持すること(対外規制)自体を禁止しているわけではないが、米国によるGATSにおけるコミットメントの内容自体がそもそも曖昧な規定であったという事情もあった。こうなると合理的な判断ができにくい状況になる。
ではこれを踏まえたその後の控訴審の結果は一体どうなったのであろうか。結局、パネルの一部判断を却下し、一部判断を認めたことになり、海外インターネット事業者による一部分野への市場アクセスについては、米国はルール違反と裁定しながらも、米国がインターネット・ギャンブルに関し、公序良俗、モラルの観点から一定の規制をすることは認められるという判示となった。これに伴い、両者が勝利宣言するという奇妙な事態が生じた。この結果、この結審では米国におけるインターネット・ギャンブル規制が直ちに変ることは全く想定できず、事実その後何も起こらなかった。制度的環境は従来と同じで米国内に厳格な規制があることに何ら変化はない。もっともこの裁定の本来の価値は、GATSのサービスに係わる規定の解釈に関する係争としては最初のものであること、インターネット・カジノの是非ではなく、インターネットを用いたサービス一般に関し、一つの国際公法上の判断基準を設けたことにある。現実は、大山鳴動してネズミも一匹もでなかったというに等しい。