EU貿易障壁規則(EU Trade Barrier Regulations, TBR)とは、EU加盟各国の企業が第三国との貿易関係で貿易障壁があると判断した場合、これをEU委員会に提訴し、EU委員会がこれを調査し、評価の上、公表し、必要な場合、WTOへの提訴なり二国間交渉により、貿易障壁を取り除くような行動を取るというEU内の制度的枠組みである。
2008年3月、ロンドンに本拠を持つ欧州ネット賭博事業者の組合でもある「遠隔賭博協会」(Remote Gambling Association, RGA)はEU委員会に対し、米国における賭博法とその執行の在り方に関し、調査を要請した。事の発端は下記事情にある。2006年までは欧州企業は、米国におけるGATの適用状況や、連邦法における曖昧な規定より、米国においてもインターネット賭博が当然認められるべきとして、ネット賭博事業を積極的に展開していたが、2006年の「違法インターネット賭博執行法」(UIGEA法)制定以降は米国市場から撤退した。一方米国司法当局は2006年までのこれら欧州事業者の過去の活動に対して提訴等の法的行動をとったことが火に油を注ぐことになった(一部事業者は、和解金を連邦政府に支払い、市場から撤退せざるを得なくなった)。
2008年3月から1年に亘りEU委員会による調査がなされ、その結果が2009年6月に公表されている。この報告書は、米国の現在の賭博法とその欧州企業に対する執行の在り方は、欧州企業にとり市場参入障壁を構成し、EUの経済的利益に否定的な効果をもたらしている旨を結論づけた。例えば米国企業は自由に競馬賭博をオンラインで営業できるが、欧州企業はこの市場には参加できず、差別されている。これはGATS XVI条(市場アクセス)、XVII条(内国待遇)への明確な違反と主張した。また米国市場撤退に伴い、収入・株式価値の下落等関連EU企業にとっての重要な否定的効果があったこと、米国外の市場でもこの影響を受けたこと、金融等の関連サービスも影響を被ったこと等を指摘している。かつ、この報告書は、WTOに対する提訴は正当化されるとしつつ、米国政府と交渉により、何らかの解決策を見出す可能性も示唆した。
議論の本質はアンテイグア・バルブーダとのWTO貿易係争の場合と同じとなるが、より大規模な形で、EUと米国という枠組みの係争になる。但し、単純な形で問題が解決できるわけがなく、EUによる問題提起は下記課題を浮かび上がらせる。
① 米国は、連邦法、州法との完璧な整合性や論理的一貫性を保持した制度を持った国ではなく、そのあり方には内部的矛盾をも抱えている。インターネット賭博自体に必ずしも明確な法的な位置づけがあるわけではなく、どうしてもグレー領域が存在する。国内法が国内における事情や過去の経緯から、整合性や一貫性が無い場合、確実に他国や他国の事業者から提訴され、係争問題が生じやすい環境を生み出すことになる。
② 欧州インターネット賭博事業者は、米国を撤退したが、欧州各国における攻勢や法務戦略により、確実に活動の領域を広げている。米国市場の穴は欧州、アジア等で埋めているはずであり、今後とも、欧州ネット賭博事業者は大きな市場圧力で各国を狙い撃ちにして、市場開放を迫る可能性が高い。
③ 連邦司法省は、従前より、時の政権には関係なく、ネット賭博に対しては、常に否定的な立場を堅持してきたという過去の経緯がある。UIGEA法の規則施行に伴い、FBIとも呼応し、インターネット賭博関連の金融事業者の勘定をブロックしたり、事業者摘発に動いたり、かなり積極的な法の執行を手掛けてきた。オバマ民主党政権でこのUIGEAを見直す法案が可決するのではという意見もあるが、連邦議会の状況は、左程単純ではなさそうである。
この問題は欧州内部では認識されたが、その後米国との関係では、第三者を交えた表立った議論はなされておらず、EUも行動を控えている。お互いに理を詰めて議論することが必ずしも利益をもたらさないという判断なのであろうが、曖昧な形で未決着にしたままとなっている。一方、2012年以降、米国の一部州におけるインターネット・ポーカーのライセンス許諾の動きに伴い、米国から撤退したネット事業者は、これら州におけるライセンス取得を通じ、再度米国市場に参入しつつある。係争自体が意味を持たなくなってきたということか。