2010年5月末に実施された当時の民主党政権による「事業仕分け」に、公営賭博・競技関連の公益法人(特殊民間会社)がやり玉に挙がった。宝くじ関連財団(特に財団法人宝くじ協会、財団法人自治総合センター、財団法人全国市町村振興協会)と競輪振興法人となる財団法人JKAである。これら公営賭博・公営競技は、総賭け金の一定率を公的部門の取り分として控除し、残額を勝者に分配するが、控除額から一定率を交付金として振興法人や特殊法人が徴収し、その残額から開催費用を差し引いた残りが施行者たる地方公共団体の収益となる仕組みになる。問題とされたのは、この交付金を徴収する振興法人や、関連しうる公益団体の存在意義でもあった。これら交付金は、その必要性が疑問視される外郭団体や関連する公益団体に対する補助金の原資になっていると共に、所管官庁と関連地方公共団体からこれら公益団体への天下りが横行していること等が問題とされた。かつ、これら公益団体の役職者に対する高額給与や、過度に豪華な事務所等の無駄遣い、複雑な交付形態と共に、無駄な広告費や委託宣伝費等も改善すべきとして指摘された。一方、JKAは、同様な天下りと共に、主務官庁関連の公益法人への支出が多いこと、効率的・効果的な補助金交付になっていないのではないか、交付金還付事業の経理上の処理は適切といえるのか等が問題となった。
事業仕分けにより指摘された現在の公営賭博・地方公営競技の大きな制度的問題は、下記にある。
① 天下りと無駄な支出がビルト・インされた制度:
公営賭博の趣旨は、その収益をもって国や地方への財政に貢献することにあるのだが、所管する霞が関の主務官庁と関連する財団や公益法人、地方公共団体の場合も関係しうる公共法人等に関し、法律を根拠とした天下りと利権の構図ができてしまっている。税ではなく、法により守られている交付金の一部となるため、誰の監視も無く、実質的に利権が温存されてしまったのであろう。また公営賭博や地方公営競技の仕組み自体に、潤沢かつ、安定的なキャッシュフローがこれら財団や公益法人等に配分されるメカニズムが存在する場合、これら主体の財政規律は極端に甘くなる。議会の監視が届かない、官僚だけの裁量で処理できる世界を法により構築しているわけで、官僚による無駄遣いを増長させる仕組みであることは間違いない。潤沢な資金が目の前にある場合、これを自らの費用を控除した上で配分することが目的であっても、好きなだけ費用を使ってしまうという衝動が生じてしまうのは、避けられない。無駄遣いを避けるためには、情報の公開や第三者による合理的な監視等を明確な判断基準を定め、徹底する必要があると共に、かかる配分のためだけのメカニズムが本当に必要かその是非を再考する必要がある。
② 地方自主権、民を隠れ蓑とする再配分のメカニズム:
地方分権の問題として、あるいは官ではなく、民間の領域であるとして、国は関与すべきではないという理屈により、高額給与の高級官僚の天下りを認めるメカニズムを温存し、これを正当化する考えは適切であるとも判断されない。潤沢な資金配分のメカニズムは、その下に、更に再配分のための公益法人と更なる天下りのメカニズムを再生産してしまう。公目的の為の補助金の配分だけであるならば、チャネリングすることなく、直接受益者となる主体に配分することが合理的で、これを複層化する価値はない。複雑にすればするほど、メカニズムを維持するための費用がかかると共に、配分の使途や目的等が曖昧になり、透明性に欠ける状態が生まれることになる。
③ 財団、振興法人、公益法人等は純粋な民間主体ではなく、公が支配する組織:
地方公営競技を主催する地方公共団体はいずれも、赤字に苦しんでいる所も多いが、一方では、控除された金額の配分を受ける財団法人等には、現場を無視した無駄遣いの体質が温存されている。本来この配分の考え自体と、間に介在する配分のための財団法人、振興法人等、関連する主体の存在そのものを問題にすべきである。これら財団や公益法人等は法人形態としては民であるとはいえ、特殊な権利、特殊な公益を保持するとされ、大臣が役員を任命し、かつ役員の解任権を保持し、事業計画・収支予算は認可の対象、事業報告や収支決算等も報告の対象となる。かつ余裕資金等の運用手法も厳格に限定されている。自由な経営ができず、実質的な生殺与奪権を主務大臣(主務官庁)が保持している現状の在り方を単純に民間主体ということが適切か否かに関しては、大きな懸念が残る(形式ではなく、実態で判断すべきで、法の名の下に形式論で既存の利権を温存するために制度が設けられたとすれば本末転倒である)。
この事業仕訳はその後も2011年、2012年と試みられたが、改善努力はなされず、民主党政権の力が弱くなると共に、実行されない政策課題となり、単なる政治的パーフォーマンスに終始してしまった。問題は大きく取り上げられたが、結局現状は温存され、何かが変わったわけではない。この結果、公営賭博・公営競技に関する制度的な非効率は現在でも仕組みの中に内在している。現代社会では最早時代遅れで価値の無い仕組みが、改革もされずに温存されていることの異常さを事業仕訳は明らかにしたが、問題を指摘しただけに終わった。かつ、これを改革しようとする動きが関連省庁から出てくる気配は一切無い。