インターネット上(あるいはサイバー世界上)日本語により、バンキング・ゲームを提供しているサイトは既にとてつもない数に上る。全て日本の領土から発出しているわけではなく、他国から、我が国国民を顧客として、サイバー世界でサービスを提供しているという構図になる。最も余程精査しない限り、顧客は通常、国内から提供されたサイトなのか、あるいは名も知れぬ海外から提供されているサイトなのかを判断することはできない。実際はこの様に、オンライン賭博のサイトが現存し、日本人顧客にサービスを提供し、莫大な金額のやり取りが行われているはずだが、その存在すら誰もチェックしておらず、法律上は違法行為となるが、何らかの摘発がなされているわけでもないために、市場規模としてどの程度となるのかという明確な統計数値は存在しない。
但し、事実として、
① 市場は存在し、かつその規模はかなり大きいこと、
② ネット賭博を提供している事業者も多種多様であり、先進国の許諾(ライセンス)を取得し、しっかりとした制度と規制の下で、サービスを提供している企業や信頼おけるサイトもあれば、カリブ海などの軽税国によるライセンスに基づく企業、あるいは、全く法規制の対象外にあり、どこから発出されているのかも理解できない不明なサイトに至るまで千差万別であること、
③ 市場自体はかなり成長しており、毎年増大しているといわれ、相当数の日本人顧客が存在していることは間違いないこと、
④ 何らかの法規制なり、法の執行が為された事実はなく、極めてグレーなまま、かつ認知されないまま市場に存在していること、
という現実がある。これでは、規制や監視、課税行為の対象にもならないわけで、現実的には国の富が海外に遺漏しているという構図でもある。
この様に、インターネット・賭博は既に国民の間でかなり定着する市場にまで成長しているのが現実であろう。この背景には、やはりインターネットを通じたものやサービスの売買が普及し、クレジット・カードや電子マネー決済によるサービスやモノの購入のセキュリテイーに対する信頼度が向上したという背景がある。インターネットを通じたビジネスや決済も広範囲に行われるようになってきている時代が到来している以上、その中に、賭博サービスなるものが存在していても、殆どの日本人には違和感は無いのかもしれない。市場における認知度と信頼が進めば進む程、インターネット賭博は、市場として今後も成長する可能性がある。一方、我が国では賭博行為は違法となるため、日本国内の事業者が直接かかる行為に参入しているケースは原則ありえないが、大手企業の中には、海外子会社を通じて、外国政府の許諾を得て、外国人顧客を対象にインターネット賭博市場に参入する企業が2009年以降生まれている。勿論これは正当な行為であって、違法ではない。但し、それが日本人顧客を主要ターゲットにし、実質的に日本の親会社が経営を操作しているとすれば、問題無いとは断言できない。
サイバー世界のプレーヤ―による判断によると、我が国は、アジア諸国の中でも、既に安定した市場を構成していると見なされている。しっかりとした顧客が根付いており、かなりの消費がなされていると判断すべきであろうが、この事実が何らかの不利益を国民に引き起こしているとは断言できない。例え違法であっても、摘発も難しく、犯罪をも構成しにくいことから、当面はWatch & Seeの態度を保持するというのが、現在の公安当局の考えでもあろう。一方ネット賭博が、国民の余暇賭博市場の一定率を既に構成しているという事実は間違いなく、本来ならば他の公営賭博や遊技などに流れていた顧客と資金が、違法ネット賭博に流れているという懸念は現実のものであろう。かつ、この市場が本当に健全で、公正さが保持されているか否かについては、一部の国、一部のサイトに関しては大きな懸念もある。
この様に、現実は、国民がかってにリスクをとり、市場に参加していることになり、曖昧な制度と制度から離れた現実がこの分野にも存在する。我が国では、目に余る問題が生じない場合には、現状が放任されてしまうという可能性が極めて高い。但し、本来は厳格な制度を設け、規制の枠組みの中で認知することがより適切であることは間違いない。もっとも、ネット賭博は陸上設置型賭博に比較すると、アクセスや社会浸透度は遥かに向上してしまうがために、その社会的なインパクトも陸上設置型賭博と比較すると極めて大きくなってしまう。インターネット賭博は、確実に国民にとっての賭博へのアクセスを一挙に拡大する。賭博行為すら単純に認められておらず、国民の賭博行為に対する理解と認知が低い国において、一挙にこれをオープンにしてしまうという政策はまず取りにくいし、現実にありえない。この意味では、インターネット賭博を認めるというハードルは極めて高い。民意がこれを支えないとすれば、我が国における導入は当面はありえないと認識せざるを得ない。