前述した通り、外洋を航行する船舶はかなり特殊な制度的状況にある。制度的には曖昧な側面もあり、何をどう判断すべきなのか、困る場合も多い。上述した「外航クルーズ船」とは、わが国の特定港湾をベース基地としながらも、複数の国に跨り、一定の期間に亘りクルーズを楽しみながら、旅行をするというものだが、法律上何らかの定義があるわけでもない。かつ、わが国の船籍ではない船舶が、わが国領域外の公海で賭博行為をすることを禁止する制度も規制も一切無い。
上記を前提にした場合、極めて興味深い事象が成立する場合もある。例えば、わが国企業が便宜置籍船を在外子会社経由取得し、この船舶のベースとなる基地を日本の港湾とし、日本人顧客を乗せ、日本の領海外へでた段階で賭博行為を船内で開帳する場合等になる。外国船籍の船舶、日本の法律が適用されない公海という前提をとった場合、形式的には問題が無いようにも思える。一方、便宜置籍船や在外子会社等は、実質的な支配権を糊塗する法律の抜け穴的存在でしかなく、その実効支配権がわが国企業にあり、当該船舶が日本をベースにして、活動しているとすれば、外国船籍といっても限りなく不透明な存在になってしまう。かつその船舶が、(もっぱら公海上で賭博行為に参加せしめる目的をもって)日本で顧客を誘致し、顧客を募り、船舶に乗船させ、日本領域外に出た時点で、賭博行為を開帳し、一定時間経過後にわが国のベース港に戻ってくるとすれば、どうであろうか。公海上とはいえ、その目的が、わが国国民に賭博行為をさせる目的をもって船舶に乗船せしめているとすれば、限りなく賭博開帳を幇助する行為に近い。「公海上であれば・・」という論理は、一つの論理なのだが、この場合には明らかに脱法的に利用しているだけであって、限りなくクロに近いグレーな領域に近いといえる。またたとえ、船舶所有企業が賭博行為に直接的に関与しておらず、場所を貸し、第三者にその運営を委ねている状況でも、賭博行為を幇助していると判断される可能性が高い。この場合には、米国でも問題となったCruise to No Where(いわゆるギャンブル船で外国へ寄港する目的が無い公海でギャンブルをするためだけの船舶)に近い船舶航行の在り方になる。閉鎖空間である限り、限りなく問題が拡散することもないわけで、航行する船舶内での賭博行為はある程度柔軟に許諾してもよいではないかという議論になるのだが、国や地方の課税権も及ばず、監視・監督の在り方も極めて曖昧になり、これでは公正かつ公平なゲームが展開されるという保証もないことも事実となる。
尚、実際に生じた事例(現実には実現する前に他の事情で実現していない)は上記以上に複雑なものとなった。対象となる船舶は、クルーズ船というよりも、中国―日本をつなぐ定期航路になり、一種のフェリーに近い。特定地点間を定期的に周航することになるが、当該船舶は便宜置籍船で、日本、中国の領海外に出た段階で、船舶内で賭博行為を開帳するという考えである(因みに米国の法律の定義からすると、複数国港湾停泊等の要件を満たさず、これは外洋クルーズ船ではない)。この場合、賭博行為自体は第三者による機材供給、運営とし、その職員も船員ではなく乗客扱い、船社はあくまでもスペースを貸し出すだけで、賃貸料という名目で収益を分担するという仕組みでもあった。この場合には、上記以上にグレーとなるが、①明らかにわが国の特定港湾を基地とし、賭博行為をも一つの遊興として提供できることを前提に、わが国国民に対し、集客行為をしていること、②実際に賭博行為を提供している主体がわが国法人であって、船社との契約行為により、スペース賃貸、利益分担をしているとすれば、(場所は公海上であっても)限りなく法のループホール(抜け穴)を利用し、摘発をまぬかれているに過ぎないということも言える。その実質的な関連主体がわが国に存在する限り、限りなくグレーな行為になる(もっとも当該主体が外国企業である場合には、更に複雑になる)。規制と監視の対象外になる公海上の賭博行為は、不正やいかさまが生じる可能性を限りなく高め、健全性と安全性が損なわれる可能性が高い。
公海上であれば・・という理屈のみで、賭博行為を認めると、上記の様に、実態としての主体はわが国企業が関与していながら、船舶を用いて、公海上へ出ることにより法律の適用を逃れるということが黙認されることになる。これでは様々な問題を連鎖的に引き起こしかねない。限定的に認めるにしても、外航クルーズ船以上に、ハードルは高くなり、単純ではなくなることを理解する必要があろう。法律上の形式論により、刑法上の違法性を阻却できると考えることは、甘い論理になることを認識すべきである。