伝統的な慣行では、一定の法律に関する主務省庁の選定は、その法律の法目的や政策目的が自らこれを決めるという考えになる。だからこそ、あらゆる法律は主務省庁の一定部局・課が法案の策定段階から与党による検討にも関与し、その実現に努力し、制定後も、政令・規則等の策定、政策の実践等を当該主務官庁が担うことが基本となる(勿論、例外もわずかながら存在する)。外国でも同様であって、何を政策的に重要視するかにより、主務官庁が異なることがある。例えば税収確保であるならば、大蔵省、公安秩序の維持が一義的ならば内務省、文化振興が目的ならば文化庁、観光振興ならば観光庁という具合になる。政策目的が複数の場合、あるいは、同じ政策目的が複数の省庁に跨る場合には、複数省庁による共管という考え方も採用されている。
わが国においても基本的な考えは同じであって、法が定める本来の政策目的が法を所管する主務大臣を決めることがあるべき姿になる。国の権限は主務大臣が掌理し、その実務を行政機構が支えるという形をとる。この場合、主務大臣、主務官庁(既存の行政機構)とカジノに関する専門の規制機関(カジノ管理委員会)との関係をどうデザインするかという課題が生まれる。尚、諸外国においても、主務官庁を規定しても、実際の規制や監視の在り方、業務の仕方は国毎にその国の事情を反映して異なるし、かつ、全てを主務官庁が単独で担うということは必ずしも必須な要素ではない。我が国においても、我が国の制度や事情に立脚した考え方が取られるべきであろう。
国の組織となる規制機関に関する超党派議員連盟の基本的なコンセプトは下記考え方から構成されている。
① 政策実務と規制機関の実務は必ずしも同一組織が担う必要は無い:
法律と政令・規則を内容的にどう振り分け、何を何処まで規制機関に委ねることができるかにより、主務官庁と規制機関との関係が決まる。大きな制度の枠組みは政令で主務大臣(実態は主務官庁の関連部局/課)が定め、政策的な実践も当該主務官庁が担うのであろう。但し、主務省庁の業務はあくまでも大きな政策の枠組みに留めるべきであって、カジノの規制に係る側面に関与すべきではない。実際のカジノの規則や、運営・監視に関する細則の制定は、全てこれを規制機関に委ね、規制機関が独自の権限を持ち、詳細規則を制定することがより合理的でもある。賭博規制は極めて特異な分野でもあり、専門的な機関がこれを担うことが好ましい。政策的事項に留める主務官庁の業務と規制機関が担う業務の詳細をどう区分けし、分担するかは実務上の課題となる。政策論と実際の規制詳細等は明確に峻別し、主務官庁の業務はあるべき政策の企画や推進、効果のモニターや評価、制度の在り方の将来的検討等に留め、実際のカジノの施行に関するあらゆる規則制定・監視などはプロ集団となる規制機関に委ねる関係を前提にすることが好ましいといえる
② 行政府内に利権を生む組織とはせず、行政機構の権限は集中させず、合理的に分散することが好ましい:
行政機構の中で新たな組織を立ち上げる場合、天下りや利権、一定の収益の配分等、省利省益があり始めて主務官庁になるモチベーションが生まれるというのが過去の現実でもあった。但し、最早かかる考えが国民に受けいれられる時代では無い。省庁からの天下りや省庁が公益法人を通じて収益の配分権を管理し、(議会の議決を要しない)第二の予算としてしまうなどの従来の公営賭博の制度的考え方は、前世紀の遺物でしか無く、かかる考え方が政治的に通用する余地は最早ありえない。収益(剰余金)配分は主務官庁や官僚機構に委ねるべきではなく、明確にその徴収の仕組み、使途、配分の在り方を法定し、配分に関し、必要な場合には、第三者専門家の判断も入れるべきで、官僚機構の裁量に委ねるべきではない。余剰資金の配分の判断こそが政策とする考えは、そこに利権を生み、公正さとは程遠い社会的非効率を生む可能性が高い。
上記よりして、考えるべき基本は主務大臣の下に、政策を担う行政官庁があり、これとは別に、大臣が所管する独立した別組織が法の詳細施行規則制定や実際の認可、許諾、監視を担うという形で、業務を分担しあう構図ではないかと想定される。この場合、複数の主務大臣による共管制とし、政策を担う主務大臣(主務官庁)と施行の規制・監視・監督を担う主務大臣(主務官庁)を分け、前者は、大きな政策的枠組みや認可、政策に関連した事務を担い、後者に規制機関を帰属させ、詳細な規制の制定や施行の監視を担わせること等も一つの選択肢となろう。勿論これらを一つとし、省庁より上位に位置する内閣府とその所管大臣となる内閣総理大臣に全てを委ねる考えもおかしな考えではない。