インターネットやコンピューター技術の発展は、賭博行為や遊びの世界に大きな変革をもたらしつつある。現実の世界と仮想空間の(バーチャルな)世界との境目が曖昧になってきた。例えば、カジノ施設は本来リアル・ゲームを人間が遊ぶ世界なのだが、ゲームの提供は現実(リアル)でありながら、この同じ動きを複数のコンピューター端末に表現することにより、バーチャルなネット上のカジノと同じ雰囲気で遊べる機械端末がカジノ施設内に設置されている。あるいは人間対人間のゲームでありながら、間に介在するツールとしてのテーブルやカードを電子化し、バーチャルなツールを使って遊ぶようなゲームもある。一方、コンピューター端末は本来バーチャルな世界を映しだすのだが、実際に自宅のコンピューターに投影される映像は、リアル・ワールドを反映した映像で、実質的にはリアル・ゲームであることもある。こうなると、リアルな世界であるカジノ施設を訪問して初めて遊べたカジノ賭博と、インターネットで提供され、自宅のパソコンを用いて遊べるゲームとの差異は殆ど無くなってしまう。利用者にとり何がリアルで何がバーチャルなのかが解り難い事象が生じてしまうことになる。
この様に現代社会では、現実世界と仮想空間が輻輳化する事象が生じており、この境目が限りなく曖昧になりつつある。これはまた、何が違法で何が合法かの境目も限りなく曖昧にする効果をもたらしている。無償か、有償かの世界も類似的な側面がある。勝った所で何らの金銭的対価もない無償のゲームはインターネット上数多く提供されている。一方、一定のレベルまではコンピューターや携帯で楽しめる無料のゲームだが、一線を越える判断をすると有料になるように顧客を誘い込む仕組み等のソーシャル・ゲーム等も単なるゲームなのか、あるいは賭博行為なのか、どこで線を引くべきなのかという境界が極めて分り難い。
これら事象は、下記をもたらしつつあるといえる。
① 物理的な現実と、サイバー世界での仮想現実は、お互いが錯綜しつつあり、伝統的な概念では単純に定義できない事象が生まれつつある。
② 顧客は何がリアル・ワールドで何がバーチャルなのかが解りにくい仕組みが提供されており、顧客自身も積極的にこれを受け入れている状況がある。利用者はこれを気にしていないし、差異を感じることなく、無意識に受け入れているのが現実である(もっとも、現実的には顧客はバーチャルなゲームが如何に提供されているかを知ることはできず、明らかに情報の非対称性が存在し、ここに、不正、いかさまが入りうるリスクはある)。
③ 賭博行為と単なる遊び・アミューズメントの境目も限りなく曖昧になりつつある。何が合法で、何が違法なのか、必ずしも明確な判断基準は存在せず、顧客にとっても極めて解り難い事象が生まれつつある。
④ 制度の在り方も、規制や管理の対象とはなりにくい曖昧な事象、あるいは従来の定義には入りにくい事象が生じており、現状のままでは、制度と現実の乖離がますます大きくなりつつある。
現在の状況が当面の間継続する場合、賭博行為やアミューズメントを提供するツールの技術的発展は、中長期的には規制の在り方を再考せざるを得ない状況をもたらすに違いないと考えられる。賭博規制の本質は、顧客を保護し、不正やいかさま等を防止し、顧客が健全、安全、安心な環境の下で、あくまでも自己の責任により楽しむことができるような環境を提供することにある。この大きな前提のもとに、安全、安心な環境を制度的に創出し、これを括ることにより、良好な環境の領域を保持し、顧客をここに誘導する、あるいは顧客自らの責任で、安全な領域か不健全な領域を選択させることが、現代社会における適切な制度の在り方になるのであろう。
全てを規制し、コントロールすることは不可能に近い。違法行為の摘発と法の執行が完璧にできえないとすれば、一定の健全、安全な領域を意識的にかつ制度的に設け、国民を不正やいかさまから保護するために、かかる安全な領域に囲い込むことがあるべき法の在り方かもしれない。勿論この場合、如何なる領域を選択するかの判断は、顧客自身にある。