「責任ある賭博施行」(英語ではResponsible Gamblingという)とは、近年あらゆる為政者やゲーミング・カジノに関与する様々な主体により主張されている概念で、カジノ施行に際し、施行を担う主体が考慮すべき一つの倫理的な規範あるいは運営・経営方針に係る基本的な理念、考え方になる。営利事業としてのカジノ施行の目的は、利益を最大化することにある。このためには、如何に顧客に賭け事を推奨し、長く滞在させ、賭け事をさせ、かつできる限り顧客が多額の金銭消費をするかを考え、これを促すことが売上と収益を増大することに繋がる。但し、賭博施行の場合には、かかる攻撃的なアプローチは否定的な問題を増長させるリスクがあることを自覚し、必要以上に過度にハウス側が射幸心を煽ったり、顧客をそそのかしたりしてまで賭博需要を喚起し、推奨することは好ましくはないし、やるべきではないとする一種の抑制的な倫理規範になる。賭博施行を政策として主張する主体、また実際に施行に関与する主体、即ち施行者及びその構成員(経営者並びに従業員等)が、賭博行為が社会一般にもたらしうる危害や悪影響を認識し、社会的に否定的な事象が生じることを未然に防ぐ配慮と措置を実践しながら、商業的賭博行為を担うことが好ましいとする考え方でもある。この考えは、90年代以降のカジノ産業の発展と共に、市民社会における様々な社会的問題に関わる関心事が増大してきたことへの対応策として、個別企業、業界団体、政府等により段階的に主張され、形成され、発展してきた考えである。
これをどう実践するかは、国によっても異なるし、また施行に関与する施行者の考え方によっても異なる。過度の賭博行為(Excessive Gambling)を止めるよう顧客を諌めたり、射幸心を煽る極めて攻撃的なマーケッテイング手法(Aggressive Marketing)を施行者が避けたりして、施行者自らが自己抑制をしながらバランスの良い行動をすることが考えの基本ともなっている。企業は本来利潤を追求することがその目的となるのだが、その本来目的を志向しつつも、事業の特異な性格や社会的関心事に配慮して、過度の賭博行為を抑制するという一見矛盾する行動を推進することになる。適切なバランスをとることが要求されるわけである。例えば、顧客から過度の収益を短期的に取り上げるような仕掛けをせず、逆にかかる顧客をできる限り長く、長期に亘り遊ばせ、大切にすることにより、顧客としての良い関係を保持することが、企業にとっての長期的な利益に繋がる。過度な考え方を取らず、常にバランスや最適性を志向し、より中長期な観点から顧客との好関係を維持し、かつ適切な収益を確保するという考えでもあろう。社会的な関心事に対し、より積極的に対応すると言う意味では、適度な射幸心を抑制すると共に、当該企業による地域貢献や社会貢献の枠組み、地域社会との共生の試みも、この実践のための一つの積極的なツールともなっている。
この考えは、一種の業界秩序としての倫理規範に近いのだが、類似的な規範や考え方は、様々な国の為政者やカジノ施行に関与する主体に受け入れられており、立法過程でこの考え方が積極的に取り上げられ、一国の制度に反映されたり、業界における一つの倫理基準とみなされたりして、ゲーミング賭博に係る共通的な規範ともなりつつある。例えば、オセアニア諸国や一部欧州の国では、制度設計に際し、この考え方は積極的に取り入れられ、制度を支える一つの概念規定になっている。今や、諸外国における現代の大手カジノ運営事業者の中では、「責任ある賭博施行」を経営の主要方針としていない事業者は皆無であろう。かかる倫理規範を遵守することにより、顧客からの信頼を得ることができ、かつ地域社会と共生できることに繋がる。またこの考えに基づき、法律上の義務ではないが、制度的に一種の誘引(インセンテイブ)を設け、カジノの施行に関与しうる主体の自立的な行動や自己抑制を求める考えも存在する。
面白いことにこの同じ規範を顧客にも適用する考えもある。この場合の「責任ある」行動とは顧客にとっても顧客の自己責任により、遊ぶか否か、どう遊ぶのか、どのくらいの金銭を賭博に費やすのかを自らが認識して、行動することをいう。賭博行為を自立的な「責任」でくくることにより、顧客、施行者、地域社会の最適な関係を志向しようというわけである。「責任ある賭博」を単なる倫理規範にとどめず、これを行動基準とすることが実践されつつあることになる。尚、この考えは必ずしもゲーミング・カジノだけの問題ではなく、全ての賭博種にも本来適用されるべき考え方であることを理解する必要がある。例えば、著名な俳優を起用した派手なTVコマーシャルでくじの販促を図る等の行為は、商業的行為としては適切であるかもしれないが、これがもたらしうる社会的な問題や起こりうる事象を一切無視していることになる。売れれば何でもありという考えに近いが、かかる行為は「責任ある賭博施行」とは言い難いことになる。